甲斐武田氏の歴史

弘仁 13年 822 嵯峨天皇の勅命により武田八幡宮が創建される。
仁和 3年 887 八ヶ岳水蒸気爆発により大崩落

長歴 3年 1039 八幡太郎義家生まれる。
寛徳 2年 1045 新羅三郎義光生まれる。


8
3
嘉承 1年 1106 八幡太郎義家死亡
天永 1年 1110 黒源太清光生まれる。






5
9
保安 2年 1121 新羅三郎義光、興国院(後の東光寺)を建立
大治 2年 1127 新羅三郎義光死亡、逸見義清、新羅三郎の菩提寺として正覚寺を建立
3年 1128 逸見(黒源太)清光の子、武田龍光丸(信義)生まれる。


天承 1年 1131 逸見義清・清光親子逸見の庄で勢力を伸ばす。
保延 6年 1140 武田龍光丸、武田八幡宮で元服し、武田太郎信義となる。
保元 1年 1156 谷戸城の出城として深草館が築城される。
仁安 3年 1168 黒源太清光死亡
武田信義が甲斐(現韮崎市)に根をおろす。 5
9
治承 4年 1180 武田信義以仁王の令旨により、信濃の平氏を討ち平らげる。
文治 2年 1186 武田信義死亡
建久 3年 1192 信義の子石和五郎が石和八幡宮を勧進する。
承久 2年 1220 信義の弟加賀美次郎妬遠光が武田八幡宮の一、二、三の鳥居を造営
承久年間に、諏訪氏支族が有賀に入り城を築き有賀氏を名乗った。
元応 1320 この年代に興国院が東光寺となる。
1337 今川氏、足利尊氏から葉梨荘(花倉)を与えられる。
文和 4年 1355 藤原朝長、下伊那郡川路村開善寺に梵鐘を作る。(現在東高遠桂泉院にあり。)
応永 2年 1395 武田氏が最恩寺(現南部町)に仏殿、方丈、庫裡等を寄進する。
永享 2年 1430 正覚寺を高根町から須玉町へ移す。
4年 1432 伊勢早雲誕生


文安 6年 1449 諏訪大社上社と下社が武力衝突する。
文明 15年 1483 旧高嶋城歴史に登場する。
長享 1年 1487 北条氏綱誕生/大井光忠小諸城の原型を築城。


明応 2年 1493 伊勢早雲三島大社に籠り関東制覇を祈願。
3年 1494 武田信虎誕生


5年 1496 今川の軍師太原崇孚誕生
7年 1498 伊勢早雲伊豆を平定
文亀 1年 1501


永正   1年 1504     北条早雲『江の島で武士が乱暴狼藉しないように』という制札(禁制)を江の島神社に。                 
4年 1507 信虎甲斐国主となる。 8
8
11年 1514



12年 1515 今川氏、駿河・甲斐の国境葛谷峠に葛谷城を作る。/北条氏康誕生


14年 1517 北条氏綱、三島大社に太刀を奉納して北条家の安泰と繁栄を祈願。
15年 1518 諏訪頼満、金刺昌春の拠る萩倉の要害(山吹城)を攻撃、金刺氏敗北。
北条早雲、三浦氏を滅ぼす。
16年 1519 武田信虎居館を石和川田館から躑躅ヶ崎の館に移す。/伊勢早雲死亡
17年 1520 武田信友(信虎の弟)が勝沼氏を名乗る。/信虎要害城を作る。
/今川氏の武将福島正成が甲斐へ侵攻
大永 1歳 1年 1521
10
12
大石定重滝山城(八王子市)を築城
飯田河原の戦い
(信虎vs福島正成)
勝千代(太郎)誕生
2歳 2年 1522
3歳 3年 1523 太郎着袴の儀
4歳 4年 1524 信虎津久井城を攻める。
5歳 5年 1525
6歳 6年 1526
7歳 7年 1527
享禄 8歳 1年 1528 金刺氏を押し立てて信虎諏訪神戸に進攻(武田信虎vs諏訪頼満)
9歳 2年 1529
10歳 3年 1530 矢坪坂の戦い(北条氏綱vs小山田越中守)/上杉謙信誕生


11歳 4年 1531 諏訪氏と武田氏対立・笹尾砦が使われる。/信虎、大井ヶ森口留番所を設置
金刺昌春戦死し、金刺氏滅亡する。
天文 12歳 1年 1532 2月 3日 天文年間のいつか、裂石山雲峰寺火災で焼失・信虎再建を志す。
信虎甲斐の国を統一/信虎武田八幡宮の神殿及び鳥居の再建を計画する。
山高信之、高龍寺を開基して山高氏の菩提寺とする。

村上義清坂木大宮神社へ社領寄進
13歳 2年 1533 太郎上杉朝悪興の娘と結婚
14歳 3年 1534 上杉夫人身ごもったまま死去


15歳 4年 1535 万沢口の合戦(武田信虎vs今川氏輝)
山中合戦(武田信虎vs今川輝照・北条氏綱)/勝沼信友戦死
武田信虎・諏訪頼満と境川(堺川・現立場川)にて和議を結ぶ。
16歳 5年 1536 太郎元服し、『晴信』と名乗る。
武田軍、神奈川県相模原市青根)を攻撃して、足弱を百人ばかりとる。
花倉の乱(今川家の内紛)
/義元、今川家を継ぐ。/晴信三条夫人と結婚
晴信初陣・海之口城に平賀源心を滅ぼす。(信濃佐久郡の戦い)
17歳 6年 1537 織田信康、犬山城を築城する。


18歳 7年 1538 北条氏政誕生


19歳 8年 1539 2月 18日 鼻戸屋合戦(武田vs村上方の清野、高梨、井上、隅田)
小山田信茂誕生
/諏訪頼満死亡、諏訪頼重、諏訪氏19代目当主となる。
20歳 9年 1540 小荒間の戦い(晴信vs村上義清)
晴信、海尻城合戦(晴信vs村上義清 村上勢敗退)の戦勝祈願を八ヶ岳神社に。

晴信の妹、諏訪頼重に嫁ぐ。/この頃信玄堤を着工
甲斐国と信濃国の国境が堺川から甲六川に変更/この年まで蔦木は甲斐領だった。
5
5
21歳 10年 1541 海野平の戦い(信虎、村上義清、諏訪頼重vs海野、禰津、望月、真田)
晴信、父信虎を駿河に追放/武田八幡宮の本殿を再建/穴山梅雪誕生/北条氏綱死亡
22歳 11年 1542 3
7
瀬沢合戦(晴信vs小笠原・諏訪・村上・木曽)
晴信・高遠頼継vs諏訪頼重の合戦で、晴信御射山を陣所とする。
頼重甲府東光寺で自刃。
安国寺の合戦(晴信vs高遠頼継)
晴信が大井ヶ森ご陣所を通ったとの記録がある。
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23歳 12年 1543 信玄、現韮崎市一ッ谷で治水工事を行う。/山本勘助、晴信に仕える。
長窪城攻め(晴信vs大井貞隆)/大門峠の戦い(晴信vs村上義清・小笠原長時)
信玄、高遠頼継との合戦に勝利し、加勢した伊那郡福与城の藤沢頼親を攻める。
24歳 13年 1544
25歳 14年 1545 川越夜戦(北条氏康vs上杉憲政)/桔梗ヶ原の戦い(晴信vs小笠原長時)
26歳 15年 1546 教来石影政、馬場姓の名跡を継承/秋山信友、侍大将に抜擢される。
内山城攻め(晴信vs大井貞清)/このころ、真田幸隆、晴信に臣従か?



27歳 16年 1547 晴信、高遠氏を滅ぼし、山本勘助、秋山信友に高遠城の縄張りを命ずる。
甲州法度次第が制定される。/志賀城攻め(晴信vs笠原清繁)
甘利昌忠・碓氷峠の合戦で初陣
28歳 17年 1548 上田原の戦い(晴信vs村上義清)/諏訪西方衆の反乱
塩尻峠の戦い(晴信vs小笠原長時)
佐久の田口城攻め
(小山田出羽守vs田口良能)
相模原市下溝堀の内が油井源三(後の北条氏照)のものとなる。
有賀氏ら西方衆は晴信と争うが、敗れて追放される。
有賀城には原美濃守が入城し、後に有賀城は千野氏の支配となる。
晴信、楽巌寺入道、布下仁兵衛を攻め、その時布引山釈尊寺が消失。
29歳 18年 1549 晴信、上原城においていた諏訪統治の本拠地を旧高嶋城に移す。
30歳 19年 1550 晴信3女真理姫誕生
晴信、小笠原長時の林城を攻め落とす。(塩尻市大宮八幡を陣所とする。)
馬場信春、深志城の城代となる。/戸石崩れ
31歳 20年 1551 真田幸隆、戸石城を陥れる。/織田信長、家督相続/武田軍小岩嶽城に放火
32歳 21年 1552 八ヶ岳の南麓に軍用道路『棒道』を開設/大井夫人死去
今川義元の娘、武田義信に嫁ぐ。/常田の戦い(小山田昌辰vs村上義清)
小岩嶽城武田軍に攻められて落城城主古厩氏自害
晴信、北条氏との戦の戦勝祈願て山中諏訪神社の本田を造営、寄進す。
33歳 22年 1553
9
晴信村上氏の葛尾城を落とす。/ 晴信塩田城を落とし村上義清を越後へ追放
晴信、光城を攻めて、陥落させる。
第一次川中島の戦い
34歳 23年 1554 甲駿相の三国同盟成立/晴信長女北条氏政に嫁ぐ。
武田義信初陣(17歳・信濃知久氏攻め)
弘治 35歳 1年 1555 第二次川中島の戦い/諏訪御寮人病没
晴信木曽に進攻し木曽義康降伏す。/真理姫木曽義昌と結婚/太原雪斎死亡
晴信、伊那に攻め込み荒神山城を落とす。
織田信長、那古屋城から清州城へ移転する。
晴信、信濃をほぼ制圧する。
36歳 2年 1556 伊那衆の反乱に怒った晴信は、首謀者8人の首をはねる。
滋野左衛門佐、布引山釈尊寺を再建。
37歳 3年 1557 晴信、北条氏政の妻である長女のために富士御室浅間神社に安産祈願す。
第三次川中島の戦い

田代城主内藤秀勝、半原、田代、角田を所領とし、北条氏の幕下に入る。
永禄 38歳 1年 1558 この頃までに裂石山雲峰寺再建完成/この頃から金鶏金山を発掘
長野善光寺の本尊を甲府に移す。/晴信、信濃守護に任命される。
武田信繁、息子信豊に九十九ヶ条の家訓を与える。
北条氏照、大石定久の養子として滝山城に入城
高山外記が築城した飛騨高山城が三木自縄に攻められて落城。三木氏が領主となる。
39歳 2年 1559 甘利住武川衆曽雌対馬守定能、願成寺(武田信義菩提寺)に木造阿弥陀三尊を寄進
晴信、出家して『信玄』と称す。
/山本勘助、出家して『道鬼』と称す。
信玄、富士見町立沢に立岸山高栄寺を創建

信玄、安曇沢渡に池尻砦を築く。
40歳 3年 1560 勝沼氏2代(勝沼信元)で滅亡/信玄堤完成/信玄、海津城築城を命ず。
桶狭間の合戦(今川義元死亡)/樋口与六(直江兼続)生まれる。
41歳 4年 1561





8

11
12月
信玄、海野城を治め次男信親(21歳)を城主とする。
長尾景虎、10万の大軍を率いて小田原城を囲むが落城させられず。
長尾景虎、上杉憲政より関東管領職を譲り受け、上杉政虎と改名。
原美濃守、割ヶ巌城攻めで負傷する。
信玄、戦勝祈願のために北口本宮富士浅間神社東宮本殿を再興す。
信玄、諏訪大明神と千手観音に戦勝祈願する。(承知川橋)
第四次川中島の戦い(信繁・勘助・諸角虎定討死)
/信玄の息女松姫生まれる。
上野箕輪城城主・長野業正病死
生野山合戦(埼玉県児玉町、美里町)(上杉政虎vs北条氏康)
上杉政虎、上杉輝虎と改名する。
42歳 5年 1562 武田四郎、諏訪四郎勝頼と名乗り、高遠城主となる。
馬場信春、信濃牧野島城に在城
し謙信の動向を見張る。/北条氏直誕生
43歳 6年 1563 武田勝頼初陣(18歳・上野箕輪城攻め)
44歳 7年 1564 第五次川中島の戦い/長尾政景死亡/原美濃守病死
北条氏邦、鉢形場に入城
上杉謙信飯山城を修築
45歳 8年 1565 信玄長男義信夫人、離縁される。/馬場信春、美濃守を称するを許される。
信玄、富士御室浅間神社で大般若経真読の法要を行う。
山県昌景、飛騨高山江馬氏を攻めて、高原諏訪城を攻めて落城させる。
46歳 9年 1566 信玄、北条氏政の妻である長女のために富士御室浅間神社に安産祈願す。
武田信虎、諏訪勝頼のとき高遠に来る。
箕輪城落城/長野業盛自害



47歳 10年 1567 葛谷城は武田氏のものとなり、規模が拡大される。
信玄長男義信、信玄によって自害させられる。(病死の可能性もある。)
48歳 11年 1568 9月
12月
20日

寿慶尼(今川輝元・義元の母)死亡
信玄駿河に進攻(三国同盟破棄)/越後の上杉謙信から松本に塩が届く。
信玄長女、北条から離縁される。
信玄坂木大宮神宮に社領寄進
信玄久能山城の築城を決める。
49歳 12年 1569 1

6

10
11日上杉謙信、信玄に塩を送る。/北条氏康、武田との同盟を破棄
北条氏康が上杉謙信と和睦、越相同盟が結ばれる。
信玄長女(黄梅院)死亡
廿里(とどり)合戦(信玄vs北条氏照家臣)

信玄小田原城を包囲/三島大社の本殿を消失さす。
三増峠の合戦(
信玄vs北条氏照・氏邦)
織田信包伊勢上野城へ入城
元亀 50歳 1年 1570
8
馬場美濃守、自元寺建立
三条夫人死亡
北条氏より人質(養子となり上杉景虎-このとき17歳)が送られる。
徳川家康、本拠地を三河岡崎から遠江浜松(引馬)に移す。
5
8
51歳 2年 1571 武田信廉、高遠城主となる。/馬場民部少輔、万休院を開基/ 北条氏康病死
北条氏政、信玄との同盟を復活させ(甲相同盟)、謙信との同盟を破棄
7
3
52歳 3年 1572 蔦木村の机村の境界争いに信玄直裁す。
信玄金沢峠を越えて遠江に進軍(三方ヶ原の合戦)
秋山信友、岩村城を包囲して開城させる。
8
2
天正 53歳 1年 1573 信玄死亡
小谷城の戦いで浅井長政、織田信長に負け浅井家滅亡。
武田勝頼、馬場美濃守に命じて現静岡県島田市金谷に諏訪原城を築城させる。
2年 1574 武田信虎死亡/織田信長『洛中洛外図屏風』を謙信に送る。
八ヶ岳崩壊山麓渓水する。/上杉政虎、
剃髪して『謙信』の法号を称する。
真田幸隆死亡(真田昌幸28歳、幸村8歳)/武田勝頼、北条氏政と和睦
上杉謙信上野の利根川に進出(謙信vs北条氏政)決戦は回避
浅井長政夫人お市の方と3人の娘が伊勢上野城に移る。
4
9
3年 1575 長尾顕景(長尾喜平次)名を改め上杉景勝となり、弾正小弼の位を受ける。
武田勝頼、清光寺内での殺生や乱暴な行いを禁止する制札を出す。
長篠の合戦/馬場美濃守・山県昌景・内藤昌豊討死
織田信忠、岩村城を攻めて落城させる。秋山信友・夫人ともに磔にされる。
5年 1577 3

武田勝頼北条氏政の妹(氏康6女)を正室として迎える。
北条氏越後に進攻/上杉謙信七尾城から越後に戻る。
上杉謙信、七尾城を1年以上囲み、結果落城させる。
手取川の合戦(上杉謙信vs柴田勝家)
6年 1578 3
16
上杉謙信死亡
御館の乱勃発(景勝vs景虎)
5 7
13
29
高坂弾正海津城にて病死
景虎御館に移る。
武田勝頼、越後国境を越え小出雲坂着陣。
6 11
29
景勝vs景虎、本格的な戦となる。(大場の合戦or居多浜の合戦)
武田勝頼、春日山の麓まで進出。
和睦の調停を図るが失敗。勝頼、景勝同盟締結。
8 28 勝頼、甲府に帰る。
7年 1579 3

2月
11日 上杉景虎、華姫と自害する。
信玄6女菊姫上杉景勝と結婚

武田勝頼坂木大宮神社の社領安堵
A



8年 1580 4 御館の乱、終息。
穴山信君、出家して家督を勝千代(信冶)に譲る。
織田信包津城をほぼ完成させる。

浅井長政夫人お市の方と3人の娘が安濃津城に移る。
9年 1581 武田勝頼、真田昌幸に新府城の築城を命じ、八ヶ月で完成し、新府城に入る。
仁科盛信高遠城主となる。
10年 1582 2月 20日 武田勝頼,、上杉景勝に援軍を要請する。
3月








5月
6月
2日
3日
5日

11日





28日
2日
高遠城陥落/仁科盛信死亡。織田信長新府城を攻めるため、白州花水坂を越える。
武田勝頼、新府城に日を放つ。
上杉景勝、武田に援軍を派遣する。(長野市付近で引き返す。)
徳川家康、万沢口留番所を通過する。
勝頼死亡により武田家滅亡
小山田信茂死亡
松姫八王子へ/武田家の旗雲峰寺へ
織田の兵火により願成寺の伽藍消失(阿弥陀三尊は消失を免れる。)
織田の兵火により東光寺の伽藍消失(仏殿は消失を免れる。)
織田信長死亡
穴山梅雪死亡
諏訪上社大祝、諏訪頼忠が諏訪領を回復し、旧高嶋城に居住

天正壬午の戦い(北条氏vs徳川氏)/北条氏笹尾砦を改修
徳川家康の配下となった小笠原長時の3男小笠原貞慶が旧領を回復
飛騨領主江間輝盛、三木自綱に敗れる。
8
0
3
7
4
9
11年 1583
2月

25日
真田昌幸上田城を築城
小笠原長時、会津で病没。
12年 1584 諏訪頼忠、金子城を築城し茶臼山城から移る。 5
3
3
1
13年 1585 第一次上田合戦真田昌幸vs徳川家康)
金森長近が三木氏を滅ぼし、飛騨高山の領主になる。
14年 1586 徳川家康、本拠地を浜松から駿河に移す。
  16年 1588     蒲生氏郷・松坂城を築城           
  17年 1589     七尾城、廃場となる。          
18年 1590 木曽は豊臣秀吉領となり、木曽氏は下総網戸へ移封
徳川家康、江戸城に入る。/柳沢信俊、武州鉢形領に移る。
石川数正が松本城の改築に着手/北条氏政・氏輝切腹
  19年 1591     北条氏直死亡/前田利家七尾城に入る。               
文禄 1年 1592 秀吉の家臣・日野根高吉、金子城を破却して高島城の築城にかかる。 6
2
3年 1594 1月 7日 織田信長の生母土田御前死亡
慶長 1年 1596 木曽家は家康によりお取潰しとなる。
2年 1597 石川数正の子康長が松本城を完成
3年 1598 甲府善光寺に来ていた仏像が信濃善光寺に帰る。
上杉景勝会津移封となる。
5年 1600 第二次上田合戦真田昌幸vs徳川家康)
関が原の戦い
6年 1601 有賀城に千野丹波守が入城
7年 1602
9年 1604 上杉景勝夫人・菊姫死亡
10年 1605 4
4
7
5
  13年 1608     藤堂高虎・伊予今治から津に移ってくる。             
15年 1610 徳川家康、清州城を廃城とし、名古屋城を築城(清州越し)
19年 1614 真田信尹、家康より甲斐国巨摩郡内に知行地をもらい御遣番となる。
元和 1年 1615 高遠城内にあった法鐘院を桂泉院と改名し、梵鐘とともに城外へ移転させる。
飛騨神岡城、1国1城令により破壊される。
2年 1616 松姫死亡/徳川氏により一国一城令出される。
  5年 1619     松阪は紀州藩領となり蒲生氏郷は会津若松へ移封              
8年 1622 真田信之、上田より松代藩(初代)へ移封される。
9年 1623
寛永 9年 1632 5 真田信尹、86歳で没
15年 1638 願成寺の復興緒につく。
正保 4年 1647 真理姫死亡
明暦 3年 1675 坂城町に村上義清の慰霊塔が設立される。
元禄   5年 1692      飛騨高山の領主金森氏出羽国上山に移封                      
14年 1701 武田八幡宮二の鳥居が再興される。
享保   8年 1723     布引山釈尊寺が野火により消失。                      
延宝 2年 1774 1582年に焼失した石和八幡宮を徳川氏が再建
安永 10年 1781 荒廃した矢の堂(小淵沢町)を尾根地区内に再建
寛政 1年 1789 武田八幡宮二の鳥居が再再興される。
文化 2年 1805 山高氏、幸燈宮を唐土から現在の地に移転させる。
3年 1806 慈雲寺(下諏訪町)大火に遭う。
5年 1808 慈雲寺再建する。
11年 1814 桂泉院の指示で高遠城に水道工事がされたらしい。(?)
天保 2年 1831 高遠城主内藤頼寧、高遠場内に仁科盛信神社を作る。


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